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そうめんの歴史

麺が誕生したのは、およそ1700年ほど前の中国・魏の時代といわれています。

古代

 奈良時代にそうめんの元祖「索餅」が誕生しました。
索餅」とは、もち米の粉をこねて、細くのばして縄のようにねじりあわせたお菓子の一種です。

 このころ、そうめんの形や食べ方は、時により場所により変わりましたが、いつの時代も変わらなかったのは、おもてなし料理としての性質です。 客をもてなしたり、主人に献上したり、年中行事のごちそうになったり、そうめんは特別な日の食卓に並ぶ料理でした。

  古代

中世

 鎌倉時代からそうめん作りが始まりました。
そして、室町時代になると「索麺」や「素麺」の文字が使われるようになりました。 このころからそうめんは、寺院の間食(点心)として広がりました。この時代に現在のそうめんの形、作り方、料理方法がほとんど形成されたと考えられています。 文献にもよく登場するようになりますが、主な舞台は寺院や宮中の宴会などで、まだ庶民が気軽に食べられるものではなかったようです。

  古代

近世

 1750年頃の江戸時代からそうめん作りが盛んになってきました。江戸時代の文化年間に揖保郡神岡村の森村忠右衛門が阪神地域から素麺製造の新しい技術を持ち帰ってきました。

 そして、江戸時代には「そうめんといえば播州、播州といえばそうめん」と言われるようになりました。 また、それ以前の戦国時代に、豊臣秀吉が姫路城に入ったときに播州名産の煮麺の饗応を受けたと伝えられています。このころからそうめんが庶民の口に入るようにもなりました。

  古代

上の写真は昭和初期の素麺作りの作業風景です。このころは、すべての工程を人の手によって作っていました。

 

〜小話〜

 揖保郡太子町の斑鳩寺に残る寺院記「鵤庄引付」の応永25年(1418年)9月15日の条に「サウメン」の文字が出てきます。これが播州地方で最も古いそうめんの記述です。 約600年も前からこの地でそうめんが食べられていることがわかる貴重な資料です。

 

7月7日はそうめんの日

 平安時代の書物(延喜式)に七夕にそうめんを食べると大病にかからないと書かれ、宮中から一般に普及したと伝えられています。

 



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